長岡京まち歩き

長岡京市まち歩き

10月27日、9時45分にJR長岡京駅に集合。

検温、消毒を済ませて1~3班、3~6班に分かれて勝竜寺城公園に向かいました。

勝竜寺城は信長の意向で細川藤孝の息子・忠興と明智光秀の娘・玉(後のガラシャ)が結婚し新婚時代を過ごした。

一方でその4年後の1582年には、本能寺の変で信長を討った光秀が、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ、勝竜寺城に避難。

城から逃げ落ちた光秀は、京都市伏見区の小栗栖(おぐるす)で落命した。

そのような経緯から、近年では「細川家と明智家の人間ドラマが交差した城」「光秀が最期の夜を過ごした城」としても知られる。

次に、近くの勝竜寺に向かいました。

平安時代 空海(弘法大師)の開基。

元の寺号は恵解山青龍寺で、観音堂を始め九十九坊が建てられていたといわれます。

大干ばつ大飢饉の年に住職千観上人の祈祷で雨が降り、龍神に勝ったという意味から「勝龍寺」と改名されました。

神足神社と勝龍寺城の土塁と空堀に向かいました。

旧神足村の産土神。

現存する土塁と空堀は、藤孝に城の大改修で造営したものです。